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STORY — HATSUKAICHI

廿日市の城をめぐる物語 — 厳島の戦いと、その前後

廿日市市には、城郭放浪記の一覧で26か所の城跡が載っています。そのうち、広島歴史回廊が御城印を出せているのは4城だけです。毛利元就が陶晴賢との決別を決めた1554年から、1555年の厳島の戦い、関ヶ原の1600年、江戸幕府が開かれる1603年までを、御城印のある4城を中心にたどります。

26城廿日市市にある城跡(城郭放浪記の掲載数)
4城現在、御城印を出せている城
1555年厳島の戦い

廿日市の城は、どこにある?

地図には、御城印のある4つの城跡を載せています。廿日市市の城跡は、これで全部ではありません。青いピンを押すと、城の物語に移れます。

ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。

桜尾城厳島神主家(藤原氏・友田興藤)→ 大内氏方の城番 → 桂元澄(毛利氏)→ 穂井田元清
宮尾城毛利氏(守将:己斐直之・坪井元政ほか
狼倉山城進藤豊後(『芸藩通志』による毛利方の守将
勝成山城陶弾正勝成の居城と伝わる(詳細不明)

廿日市の城の歴史を、年表でたどる(中世から関ヶ原・江戸開府まで)

厳島神主家の時代から、陶晴賢との決別、厳島の戦い、関ヶ原、福島正則の入封、江戸開府までを、城ごとの出来事でつないだ年表です。

  1. 1221年(承久3年)承久の乱で佐伯氏が神主家から退けられ、幕府御家人の藤原親実が新たな厳島神主となった。親実は現地に下らず代官で支配した。(Wikipedia「厳島神主家」、Wikipedia「桜尾城」)
  2. 1523〜1524年友田興藤が安芸武田氏の支援で神主家当主となる。翌年、大内氏が桜尾城を攻め、興藤を隠居させ藤原兼藤を当主に据えた。(Wikipedia「厳島神主家」)
  3. 1541年(天文10年)吉田郡山城の戦いの年、興藤は大内氏に背いたが桜尾城を大軍に囲まれて自害。弟の藤原広就も五日市で自害し、藤原氏の神主家は実質滅亡した。(Wikipedia「厳島神主家」、Wikipedia「桜尾城」)
  4. 1551年(天文20年)大寧寺の変で陶隆房(のちの晴賢)が主君・大内義隆を討ち、大内義長を立てて実権を握る。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「厳島神主家」)
  5. 1554年(天文23年)5月12日毛利元就が大内・陶氏と決別(防芸引分)。桜尾城など4城を攻略して厳島を占領した。桜尾城には桂元澄が入る。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「桜尾城」)
  6. 1554年6月5日折敷畑の戦いで毛利軍が陶方の宮川房頼を破る。(Wikipedia「厳島の戦い」)
  7. 1554年折敷畑の後、毛利方が向城として狼倉山城を築き進藤豊後を置いた、と『芸藩通志』にあるとされる(城郭放浪記の紹介)。(安芸 狼倉山城 - 城郭放浪記)
  8. 1555年(弘治元年)6〜7月元就が宮尾城を視察し、己斐直之・坪井元政に500の兵を入れさせる。7月7日、白井賢胤の攻撃を宮尾城が撃退。(Wikipedia「厳島の戦い」)
  9. 1555年9月21〜22日陶晴賢が岩国から出陣し、大元浦から厳島に上陸。本陣は塔の岡に置かれ、宮尾城を攻めた。(Wikipedia「厳島の戦い」)
  10. 1555年10月1日(天文24年)暴風雨の夜に渡海した毛利軍が、吉川元春の山越え隊と小早川隆景の別働隊で陶軍を奇襲し大勝。晴賢は大江浦で自刃した。(Wikipedia「厳島の戦い」)
  11. 1555年10月5日晴賢の首が見つかり、桜尾城で首実検が行われた。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「桜尾城」)
  12. 1555〜1557年防長経略。1557年4月に大内義長が自害し、大内氏の正統は断絶した。(Wikipedia「防長経略」)
  13. 1600年(慶長5年)9月15日関ヶ原の戦い。のち毛利輝元は周防・長門の2国に減封された。(Wikipedia「関ヶ原の戦い」)
  14. 1601年(慶長6年)3月福島正則が安芸・備後に入封し広島藩を立てる(約49万8千石)。桜尾城は存在価値を失い廃城になったとされる。(Wikipedia「福島正則」、Wikipedia「桜尾城」)
  15. 1603年(慶長8年)徳川家康が征夷大将軍に任官(3月24日)、江戸幕府を開く。同年、福島正則は安芸最西端に亀居城の築城を始めた。(Wikipedia「江戸幕府」、Wikipedia「福島正則」)
資料によって説が分かれる点
毛利が桜尾城を取った年:1554年/1553年

廿日市の物語を、問いでたどる

Q. 1555年の厳島の戦いはいつ?

天文24年(弘治元年)10月1日(新暦10月16日)早朝。毛利元就が陶晴賢を破った。(Wikipedia「厳島の戦い」)

Q. 毛利が陶と決別したのは?

1554年5月12日。桜尾城など4城を攻略し厳島を占領した。(Wikipedia「厳島の戦い」)

Q. 関ヶ原後に廿日市を含む安芸を治めたのは?

福島正則。1601年3月に安芸・備後に入封した。(Wikipedia「福島正則」)

Q. 家康の天下統一との結びつきは?

関ヶ原(1600)で毛利輝元は防長2国に減封、1603年に家康が将軍となり幕府を開いた。(Wikipedia「関ヶ原の戦い」、Wikipedia「江戸幕府」)

城ごとの物語

御城印は、まだ一部です — 廿日市には、もっと城跡があります

城郭放浪記の一覧には、廿日市の城跡が26か所載っています。広島歴史回廊が御城印を出せているのは、そのうち4城だけです。いま販売できているのは物語を調べ終えた城に限られていて、残りの多くは、これから順に増やしていきます。

城跡の数は、個人が運営する城郭データベース「城郭放浪記」の掲載数です(2026年10月時点)。公的な統計ではなく、調査や分け方によって数は変わります。

ご存じの城の話や、御城印にしてほしい城があれば、お問い合わせからお知らせください。

廿日市の御城印

廿日市市の城のうち、御城印のある4城です。価格は各600円(税込)。宮尾城は2種類のデザインがあります。

御城印は、トップページの「御城印」からお求めいただけます。各600円(税込)、折り鶴再生紙を使っています。

よくある質問

  • Q1.廿日市の城は、すべて御城印になっていますか?

    いいえ。城郭放浪記の一覧には廿日市の城跡が26か所載っていますが、御城印を出せているのは4城だけです。物語を調べ終えた城から、順に増やしていきます。

  • Q2.廿日市の城の御城印は、どこで買えますか?

    桜尾城・宮尾城・狼倉山城・勝成山城の御城印は、トップページの「御城印」からお求めいただけます。価格は各600円(税込)です。

  • Q3.1555年の厳島の戦いはいつ?

    天文24年(弘治元年)10月1日(新暦10月16日)早朝。毛利元就が陶晴賢を破った。

  • Q4.毛利が陶と決別したのは?

    1554年5月12日。桜尾城など4城を攻略し厳島を占領した。

  • Q5.関ヶ原後に廿日市を含む安芸を治めたのは?

    福島正則。1601年3月に安芸・備後に入封した。

出典

年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。