STORY — HATSUKAICHI / MIYAO
宮尾城 — 日本三大奇襲 厳島の戦い
宮尾城は、1555年の厳島の戦いの舞台となった城です。毛利元就が1554年に占拠して改修し、己斐直之・坪井元政らが守りました。城を含む島全体が特別史跡に指定されています。
宮尾城は、どんな城?
| 所在地 | 広島県廿日市市宮島町(要害山 |
|---|---|
| 城主 | 毛利氏(守将:己斐直之・坪井元政ほか |
| 築城 | 厳島の戦い以前から存在。毛利元就が1554年に占拠・改修(築城者は断定できない |
| 廃城 | 戦後の扱いは不明(Wikipedia |
| 指定 | 城を含む島全体が特別史跡・特別名勝(Wikipedia)。県調査表では「要害山城跡」の別名 |
| 遺構 | 連郭式の平山城。堀切、帯曲輪程度。山頂に東屋と今伊勢神社。石垣が使われた点が珍しいとされる。 |
| アクセス | 宮島港から厳島神社へ向かう途中に登り口。広電宮島口駅から直線約2.1km。 |
ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。
宮尾城の歴史を、年表で
- 1554年(天文23年)4月11日(新暦5月12日)『棚守房顕覚書』に毛利軍が占拠とあり、それ以前から城があったと見られる。人夫約1000人で約1か月かけ普請、石垣も使った。(Wikipedia「宮尾城」)
- 1555年6月元就が視察、己斐直之・坪井元政に500の兵を入れさせた。(Wikipedia「厳島の戦い」)
- 1555年9月26日熊谷信直らに50〜60艘を与えて援軍に送る。27日頃、堀が埋められ水源が断たれたとされる。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「宮尾城」)
- 1555年10月1日籠城兵と呼応して小早川隆景の隊が塔の岡を攻めた。(Wikipedia「厳島の戦い」)
資料によって説が分かれる点
築城年・築城者:1554年以前から存在(大内氏築城の推測)。毛利氏は改修/1555年に毛利元就が築いたとされる
標高:約30m/27.0m(本文)/30m(基本情報)
籠城兵数:500(己斐直之・坪井元政に付けた兵)/300名余り
築城年・築城者:1554年以前から存在(大内氏築城の推測)。毛利氏は改修/1555年に毛利元就が築いたとされる
標高:約30m/27.0m(本文)/30m(基本情報)
籠城兵数:500(己斐直之・坪井元政に付けた兵)/300名余り
宮尾城の物語
Q. 宮尾城は元就が陶軍をおびき寄せる囮として築いた?
伝承『陰徳太平記』にその説があるが、後世の創作と見られている。城は戦い以前から存在した。(Wikipedia「宮尾城」、Wikipedia「厳島の戦い」)
Q. 守っていたのは誰?
己斐直之・坪井元政ら。援軍に熊谷信直らが入った。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「宮尾城」)
宮尾城の御城印
御城印は、トップページの「御城印」からお求めいただけます。各600円(税込)、折り鶴再生紙を使っています。
よくある質問
Q1.宮尾城はどこにありますか?
廿日市市宮島町にあります。城を含む島全体が特別史跡・特別名勝です。
Q2.宮尾城は元就が陶軍をおびき寄せる囮として築いた?
『陰徳太平記』にその説があるが、後世の創作と見られている。城は戦い以前から存在した。
Q3.守っていたのは誰?
己斐直之・坪井元政ら。援軍に熊谷信直らが入った。
出典
年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。

