STORY — HATSUKAICHI / SAKURAO
桜尾城 — 宮島を望む 海の城
桜尾城は、厳島神主家の城です。1554年5月12日、毛利元就が大内・陶氏と決別して攻略し、桂元澄が入りました。1555年の厳島の戦いのあとには、陶晴賢の首実検が行われた城でもあります。
桜尾城は、どんな城?
| 所在地 | 広島県廿日市市桜尾本町(桂公園 |
|---|---|
| 城主 | 厳島神主家(藤原氏・友田興藤)→ 大内氏方の城番 → 桂元澄(毛利氏)→ 穂井田元清 |
| 築城 | 1221年頃、藤原親実が築いたとされる(Wikipedia |
| 廃城 | 関ヶ原後(1600年以降)の廃城とされる |
| 指定 | 市史跡(県の中世城館調査表の記載 |
| 遺構 | 遺構なし。もとは標高約31mの丘で、土砂採取や造成で削られ桂公園になっている。南側入口に「桜尾城址 桂公園」の石碑。 |
| アクセス | 国道2号沿い、廿日市高校の西側に道標。広電廿日市駅・山陽女子大前駅から約0.5km。公園上に専用駐車場。 |
ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。
桜尾城の歴史を、年表で
- 1221年(承久3年)藤原親実が神主となり桜尾城を築いたとされる。(Wikipedia「桜尾城」)
- 1441年武田信賢に城を囲まれたが撃退した。(Wikipedia「桜尾城」)
- 1541年友田興藤が大内氏に攻められ、城内で自害。(Wikipedia「厳島神主家」、Wikipedia「桜尾城」)
- 1554年5月12日毛利軍の侵攻で開城、桂元澄が入る。(Wikipedia「桜尾城」、Wikipedia「厳島の戦い」)
- 1555年10月5日陶晴賢の首実検がこの城で行われた。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「桜尾城」)
- 1600年以降関ヶ原後に廃城。(Wikipedia「桜尾城」、安芸 桜尾城 - 城郭放浪記)
- 1912年(大正元年)桂元澄の末裔・桂太郎が城址を買収して廿日市町に寄付。1913年に桂公園として開園。(Wikipedia「桜尾城」)
資料によって説が分かれる点
築城者:藤原親実(1221年頃)/鎌倉時代に吉見氏が築いたとされる(築城年代は定かでない)
毛利氏が城を取った年:1554年5月12日/1553年
廃城の理由:関ヶ原後に福島正則が入り存在価値を失った/毛利氏の防長2国への減封で廃城
桂元澄の後の城主表記:穂井田元清(Wikipedia)/穂田元清(城郭放浪記の表記)
築城者:藤原親実(1221年頃)/鎌倉時代に吉見氏が築いたとされる(築城年代は定かでない)
毛利氏が城を取った年:1554年5月12日/1553年
廃城の理由:関ヶ原後に福島正則が入り存在価値を失った/毛利氏の防長2国への減封で廃城
桂元澄の後の城主表記:穂井田元清(Wikipedia)/穂田元清(城郭放浪記の表記)
桜尾城の物語
Q. 桜尾城は厳島の戦いで何をした?
戦場そのものではなく後方の支えを担い、戦後に陶晴賢の首実検の場になった。(Wikipedia「桜尾城」、Wikipedia「厳島の戦い」)
Q. 桂元澄が陶方に内通するふりをした話は本当?
伝承密書を送ったという話は伝わるが、一次史料での裏付けはないとされる。(Wikipedia「厳島の戦い」)
Q. 今、遺構は見られる?
残っていない。公園化と造成で地形も大きく変わっている。(Wikipedia「桜尾城」、安芸 桜尾城 - 城郭放浪記)
桜尾城の御城印
御城印は、トップページの「御城印」からお求めいただけます。各600円(税込)、折り鶴再生紙を使っています。
よくある質問
Q1.桜尾城はどこにありますか?
廿日市市桜尾本町にあります。市史跡です。
Q2.桜尾城は厳島の戦いで何をした?
戦場そのものではなく後方の支えを担い、戦後に陶晴賢の首実検の場になった。
Q3.桂元澄が陶方に内通するふりをした話は本当?
密書を送ったという話は伝わるが、一次史料での裏付けはないとされる。
出典
年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。
