STORY — TAKEHARA / KIMURA
木村城 — 小早川隆景が、12歳で当主になった城
木村城は、1258年ごろから約300年、14代にわたって続いた竹原小早川氏の本拠です。1544年、毛利元就の三男・隆景が12歳で当主になった城でもあります。県史跡に指定されています。
木村城は、どんな城?
| 所在地 | 竹原市新庄町城ノ本 |
|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代〜戦国時代(竹原小早川氏の本拠) |
| 指定 | 県史跡(昭和48年3月28日指定) |
| 遺構 | 賀茂川沿いの丘陵尾根に、長さ約200メートルにわたって郭が階段状に連なります。最高所に本丸と付郭があり、堀切をはさんで北側に二の丸・三の丸。石組みの井戸や、部分的な石垣が残ります。 |
| 周辺 | 西へ約500メートル(賀茂川の対岸)に、竹原小早川氏の館跡と考えられる手島屋敷(約2500平方メートル、石垣が残る)と、同氏の墓地があります。 |
| 御城印 | 「天下の副柱、誕生の地」。道の駅たけはらで販売中(¥600・税込)。 |
ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。
木村城の歴史を、年表で
- 1258年ごろ小早川茂平の四男・政景が、都宇竹原荘の地頭として入り、この城を拠点にしたとされます。(竹原市)
- 約300年・14代竹原小早川氏は、木村城を根拠に約300年続きました。(竹原市)
- 1544年(天文13年)11月当主・興景が戦死。毛利元就の三男・隆景が12歳で当主になります。(Wikipedia「小早川隆景」)
- 1550年(天文19年)隆景が沼田小早川家も継ぎ、二つの小早川家が統合されます。(Wikipedia「小早川隆景」)
- 1551年(天文20年)10月13日隆景が木村城を出て、沼田小早川家の高山城に入ります。(Wikipedia「小早川隆景」)
- 1552年(天文21年)6月沼田川をはさんだ対岸に新高山城を築き、新たな本拠とします。(Wikipedia「小早川隆景」)
- 1591年(天正19年)竹原市の説明では、この年に木村城は廃城になったとされています。(竹原市)
木村城が役目を終えた時期は、竹原市の説明では1591年の廃城、小早川隆景の事績では1551年に隆景が城を出たとされています。ここでは両方を示しています。
木村城の物語
Q. 12歳の隆景は、なぜここに来たの?
前の当主・興景が戦死し、跡継ぎがいなかったためです。竹原の重臣たちが毛利元就に後継を求め、元就の三男が、12歳で竹原小早川家を継ぎました。(Wikipedia「小早川隆景」)
Q. 小早川氏の城の特徴は?
文化大百科は、石を多く使うのが小早川氏一族の城の特色だと説明しています。木村城でも、石組みの井戸や石垣が残っています。(ひろしま文化大百科)
のち隆景は、毛利一族を支える立場として歩みます。隆景は1597年、三原城で亡くなりました。(Wikipedia「小早川隆景」)
木村城の御城印

竹原の御城印・武将印は、道の駅たけはら(竹原市本町1-1-1・営業時間 9:00〜17:00)で販売中です。営業時間は全国「道の駅」連絡会の掲載情報によります。最新の販売状況はトップページのお知らせをご覧ください。
よくある質問
Q1.木村城はどこにありますか?
竹原市新庄町城ノ本にあります。賀茂川沿いの丘陵尾根に築かれた城跡で、県史跡に指定されています。
Q2.木村城は、いつ誰が築いた城ですか?
竹原市の説明では、1258年に小早川政景が都宇竹原荘の地頭として入り、この城を拠点にしたとされています。築城年や築城者は、ページには明記されていません。
Q3.木村城の御城印はどこで買えますか?
道の駅たけはら(竹原市本町1-1-1)で販売しています。価格は600円(税込)です。
出典
年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。