STORY — TAKEHARA / KAGI
賀儀城と乃美宗勝 — 水軍の将が築いた、海に口開く城
賀儀城は、小早川水軍の将・乃美宗勝が1565年に着工したとされる、海に面した城です。比高は約20メートル、JR忠海駅から徒歩約10分。宗勝は、1555年の厳島の戦いで、村上水軍を味方に引き入れる役を務めたとされます。
賀儀城は、どんな城?
| 所在地 | 竹原市忠海床浦(忠海港の近く) |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代(1565年に着工とされる) |
| 城主 | 小早川水軍の将・乃美(浦)宗勝 |
| 形式 | 海に面した海城。比高は約20メートル。 |
| 遺構 | 二の丸の北側に土塁が残ります。現在は公園で、山頂は芝生の広場になり、海が見渡せます。城下の海岸には、船を隠したと考えられる洞窟があります。 |
| アクセス | JR忠海駅から徒歩約10分。 |
| 御城印・武将印 | 賀儀城「海に口開く舟隠し」と、武将印・乃美宗勝。道の駅たけはらで販売中(各¥600・税込)。 |
ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。
乃美宗勝と賀儀城を、年表で
- 1527年(大永7年)乃美(浦)宗勝が生まれます。(Wikipedia「乃美宗勝」)
- 1555年(弘治元年)厳島の戦い。宗勝が村上水軍との交渉役を務め、味方に引き入れたとされます。(Wikipedia「乃美宗勝」)
- 1565年(永禄8年)所領の忠海に賀儀城を築きはじめ、拠点にしたとされます。(Wikipedia「乃美宗勝」、攻城団)
- 1592年(天正20年)9月23日筑前国で亡くなります(享年66)。遺髪は、本領・忠海の勝運寺に納められたとされます。(Wikipedia「乃美宗勝」)
賀儀城と乃美宗勝の物語
Q. 「船を1日だけ貸して」の逸話は本当?
伝承厳島の戦いの前、毛利元就の「一日だけ軍船をお借りしたい」という言葉を村上氏に伝え、村上水軍を味方に引き入れた、と語られます。この台詞の出どころははっきりしていませんが、宗勝が村上水軍との交渉役を務めたこと自体は、小早川隆景の事績にも「乃美宗勝を通じて」と記されています。(Wikipedia「乃美宗勝」「小早川隆景」)
Q. 「舟隠し」とは?
海に面した城で、船を隠しておく場所のことです。賀儀城では、城下の海岸に、船を隠したと考えられる洞窟があります。(攻城団)御城印のことば「海に口開く舟隠し」は、この海城の姿を表したものです。
Q. 宗勝はその後、どうなったの?
宗勝は、防長経略、門司城の戦い、第一次木津川口の戦い、常山合戦などに加わり、小早川隆景の家臣団の長老格として働きました。文禄の役では隆景に従って朝鮮へ渡り、病を得て帰国しています。1592年に筑前で亡くなり、墓は筑前の宗勝寺にあります。(Wikipedia「乃美宗勝」)
賀儀城の御城印と、乃美宗勝の武将印


竹原の御城印・武将印は、道の駅たけはら(竹原市本町1-1-1・営業時間 9:00〜17:00)で販売中です。営業時間は全国「道の駅」連絡会の掲載情報によります。最新の販売状況はトップページのお知らせをご覧ください。
よくある質問
Q1.賀儀城はどこにありますか?
竹原市忠海床浦にあり、忠海港の近くです。JR忠海駅から徒歩で約10分。現在は公園になっていて、山頂の芝生の広場から海が見えます。
Q2.賀儀城を築いたのは誰ですか?
小早川水軍の将・乃美(浦)宗勝です。1565年(永禄8年)に着工したとされています。
Q3.乃美宗勝の武将印はどこで買えますか?
道の駅たけはら(竹原市本町1-1-1)で、竹原の御城印とあわせて販売しています。価格は600円(税込)です。
出典
年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。