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STORY — HIROSHIMA / YANO

矢野城 — 義の炎 絵下山に宿る

矢野城は、広島市安芸区矢野町にある山城で、1937年に県史跡に指定されました。1555年、毛利軍に攻められた野間隆実が降伏後に殺害されたとされる城です。

矢野城は、どんな城?

所在地広島市安芸区矢野町発喜山中腹(広島市の文化財一覧
城主熊谷蓮覚 → 野間氏
築城1335年(建武2年)熊谷蓮覚が築城(Wikipedia
廃城野間氏の滅亡(1555年)と同時期とみられるが明確な記録はない(Wikipedia推測
指定広島県史跡(矢野城跡、昭和12年〈1937〉5月28日指定。県資料ではC郭群が史跡とも記される
遺構絵下山系の尾根上に築かれ、北に大手口、西の茶臼山が搦手とされる(Wikipedia)。標高は約476mとする記事がある。

ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。

矢野城の歴史を、年表で

  1. 1335年(建武2年)熊谷蓮覚が築城。同年に落城し、蓮覚は討死したとされる。広島市の年表にも『武田信武が矢野城を破って京都に入る』とある。(Wikipedia「矢野城」、武田山の歴史を知る 銀山城史略年表 - 広島市)
  2. 1445年(文安2年)野間重能が足利義政から所領を与えられて入城した(Wikipedia)。(Wikipedia「矢野城」)
  3. 1516年ごろ(永正13年)連歌師・宗碩が、国人領主・野間氏の催す連歌会に山城で招かれた。城は発喜城(矢野城)と考えるのが妥当とされる。(広島城 しろうや22号(野間氏・矢野城に関する記事))
  4. 1555年(天文24年)4月9〜11日毛利軍が野間隆実の矢野城を攻め、隆実は降伏後に殺害された。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「白井賢胤」)
資料によって説が分かれる点
野間隆実の最期:Wikipedia矢野城は『降伏後に一族が虐殺』、白井賢胤の項は『熊谷信直の斡旋で隆実は殺害』と記し、表現に差がある。
県史跡の範囲:広島市の一覧は『矢野城跡』を県史跡(S12.5.28)とし、広島県資料はC郭群のみを史跡とする記述。

矢野城の物語

Q. 矢野城の城主・野間氏はどうなったか。?

1555年に陶方についた野間隆実が毛利の攻撃・調略で降伏し、のち殺害され、一族も討たれた。(Wikipedia「矢野城」、Wikipedia「厳島の戦い」)

矢野城の御城印

御城印は、トップページの「御城印」からお求めいただけます。各600円(税込)、折り鶴再生紙を使っています。

よくある質問

  • Q1.矢野城はどこにありますか?

    広島市安芸区矢野町発喜山中腹にあります。広島県史跡です。

  • Q2.矢野城の城主・野間氏はどうなったか。?

    1555年に陶方についた野間隆実が毛利の攻撃・調略で降伏し、のち殺害され、一族も討たれた。

出典

年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。