STORY — HIROSHIMA / KUSATSU
草津城 — 古来、戦の津
草津城は、広島湾に面した水運の要所にあった城です。もとは羽仁氏の居城で、のち毛利氏が押さえ、児玉就方が入りました。1555年の厳島の戦いの直前、毛利軍が着陣した城です。
草津城は、どんな城?
| 所在地 | 広島市西区草津(城山 |
|---|---|
| 城主 | 羽仁氏 → 毛利氏(児玉就方・就英 |
| 廃城 | 1600年以降(Wikipedia)/1601年ごろ(広島市資料 |
| 遺構 | 城跡は『城山』と呼ばれ、山頂付近に『草津城址』の石碑がある。城址はJR山陽本線と広電宮島線で三分割されている(Wikipedia)。 |
ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。
草津城の歴史を、年表で
- 時期不明もとは厳島神社神主家配下の神領衆・羽仁氏が居城していた。(Wikipedia「草津城」)
- 戦国時代安芸武田氏、大内氏、神主家、陶氏、毛利氏が奪い合った拠点で、古代から水軍・水運の要所だった(広島市資料)。(広島市資料(草津城阯の解説を含むPDF))
- 1551年または1554年毛利氏が城を押さえ、児玉就方が入城した。入城年は児玉就方の項では1551年、草津城の項は1554年の毛利氏の支配とする。(Wikipedia「児玉就方」、Wikipedia「草津城」)
- 1555年(天文24年)正月府中出張城の白井賢胤が水軍を率いて草津城と河内警固衆の拠点を襲撃した。(Wikipedia「厳島の戦い」)
- 1555年9月24日厳島の戦いの直前、毛利軍が佐東銀山城を出て草津城に着陣した。(Wikipedia「厳島の戦い」)
- 1600〜1601年関ヶ原後に廃城。福島正則が1601年に山陽道に西の関所となる大門を設けた後に廃城とする広島市資料と、福島が城を壊したと伝えるWikipediaがある。(広島市資料(草津城阯の解説を含むPDF)、Wikipedia「草津城」)
資料によって説が分かれる点
廃城:広島市資料は1601年の大門設置後に廃城、Wikipediaは1600年以降で福島正則が壊したと伝える。
廃城:広島市資料は1601年の大門設置後に廃城、Wikipediaは1600年以降で福島正則が壊したと伝える。
草津城の物語
Q. 草津城は厳島の戦いでどんな役目を果たしたか。?
1555年9月24日に毛利軍が着陣した城で、児玉就方は川内警固衆を率いて参戦した。(Wikipedia「厳島の戦い」、Wikipedia「児玉就方」)
草津城の御城印
御城印は、トップページの「御城印」からお求めいただけます。各600円(税込)、折り鶴再生紙を使っています。
よくある質問
Q1.草津城はどこにありますか?
広島市西区草津にあります。
Q2.草津城は厳島の戦いでどんな役目を果たしたか。?
1555年9月24日に毛利軍が着陣した城で、児玉就方は川内警固衆を率いて参戦した。
出典
年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。
