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STORY — HIROSHIMA / FUCHU

府中出張城 — 千葉末裔 安芸に立つ

府中出張城は、府中町宮の町にある水軍領主・白井氏の城です。1554年、仁保城を追われた白井賢胤が退き、翌1555年正月にはここから草津城を襲いました。

府中出張城は、どんな城?

所在地広島県安芸郡府中町宮の町一丁目と三丁目の境、古山陽道沿い
城主白井氏(初代・白井加賀守胤時と伝わる
築城応永年間(1394〜1428年)に白井胤時が関わったと伝わる。正確な築城年は不明
遺構本丸跡を中心に数段の地形が残る。大正期には馬場・門の跡が残っていたといわれ、開墾で古城具・墓石・人骨が出たとされる。白井加賀守親胤の名を刻む石碑が残る。

ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。

府中出張城の歴史を、年表で

  1. 応永年間(1394〜1428年)伝承安芸守護武田氏に従って下総から西下した白井胤時が初代城主となったと伝えられ、以後約170年、府中を中心に領内を治めたとされる。(出張城跡 - 府中町公式サイト、Wikipedia「府中出張城」)
  2. 室町時代白井氏は安芸武田氏に従属し、その後、大内氏の従属下に入った。水軍を重視し、仁保島の拠点から周辺海域の船から通行料を取った。(Wikipedia「府中出張城」)
  3. 1495年白井光胤が武田氏から警固を命じられた記録がある(仁保城の項)。白井氏は府中の出張城から次第に仁保城を本拠とするようになったという。(Wikipedia「仁保城」)
  4. 1554年(天文23年)5月毛利軍が仁保島城を攻め、陶方の白井賢胤は府中出張城へ退いた。(Wikipedia「白井賢胤」)
  5. 1555年(天文24年)正月白井賢胤が府中出張城から水軍を率いて草津城などを襲撃。(Wikipedia「厳島の戦い」)
  6. 1555年4月矢野城の野間隆実が追い詰められる中、賢胤も府中出張城から逃亡した。その後、周防の宇賀島に退き、宮尾城攻撃に加わったが失敗。(Wikipedia「白井賢胤」)
  7. 1557年(弘治3年)賢胤は毛利氏に臣従し、小早川隆景の下で毛利水軍に加わる。(Wikipedia「白井賢胤」、Wikipedia「府中出張城」)
資料によって説が分かれる点
白井氏の仁保城と出張城の関係:Wikipedia出張城は仁保島の城を拠点に通行料を徴収と記し、仁保城の項は出張城から次第に仁保城を本拠にしたとする。表現はやや異なる。

府中出張城の物語

Q. 出張城は尼子・毛利・大内の抗争でどういう位置か。?

白井氏は武田氏、のち大内・陶方に立ち、広島湾岸で毛利と対抗する水軍拠点の一つだった。1554〜55年に仁保城を失った賢胤の退き先となり、草津城襲撃の出撃拠点にもなった。尼子氏との直接の関係は出典で確認できなかった。(Wikipedia「府中出張城」、Wikipedia「白井賢胤」、Wikipedia「厳島の戦い」)

Q. 城の名の由来は。?

近世の字名『出張市』に由来すると考えられ、中世史料では『府城』『国府城』『芸府城』とも記される。(出張城跡 - 府中町公式サイト)

府中出張城の御城印

御城印は、トップページの「御城印」からお求めいただけます。各600円(税込)、折り鶴再生紙を使っています。

よくある質問

  • Q1.府中出張城はどこにありますか?

    安芸郡府中町宮の町一丁目と三丁目の境にあります。

  • Q2.出張城は尼子・毛利・大内の抗争でどういう位置か。?

    白井氏は武田氏、のち大内・陶方に立ち、広島湾岸で毛利と対抗する水軍拠点の一つだった。1554〜55年に仁保城を失った賢胤の退き先となり、草津城襲撃の出撃拠点にもなった。尼子氏との直接の関係は出典で確認できなかった。

  • Q3.城の名の由来は。?

    近世の字名『出張市』に由来すると考えられ、中世史料では『府城』『国府城』『芸府城』とも記される。

出典

年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。