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STORY — HIGASHIHIROSHIMA / TSUCHIYAMA

槌山城 — 大内氏、安芸支配最後の砦

槌山城は、鏡山城に代わって大内氏が安芸支配の拠点とした城の一つです。1551年、大寧寺の変のあと、大内義隆派の菅田宣真らが籠城しましたが、毛利方に落とされました。

槌山城は、どんな城?

所在地広島県東広島市八本松町吉川
城主大内方(弘中隆兼、のち菅田宣真が守将と伝わる
廃城1551年の落城後に廃城(Wikipedia
指定市史跡(城郭放浪記・県の一覧備考。市の城跡ページの冒頭にも言及
遺構標高488m、比高約260m。山頂の主郭群と東・北西・南西の尾根の曲輪。郭、切岸、堀切、土塁、桝形、虎口、石垣(石積)が残る。別名・明神山城。南麓の豊穣池周辺に公園(トイレ・駐車場)、登山道あり。
アクセス南麓の豊穣池の公園(駐車場あり)から登山道(城郭放浪記)。

ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。

槌山城の歴史を、年表で

  1. 1525年以降鏡山城に代わる大内氏の安芸支配の拠点の一つとなる。(史跡 鏡山城跡 - 東広島市(国指定文化財)、Wikipedia「鏡山城の戦い」)
  2. 1543年(天文12年)弘中隆兼が西条守護となり、拠点を杣城南方の槌山城へ移したとされる。(市史跡 曽場が城跡 - 東広島市、Wikipedia「槌山城」)
  3. 1551年(天文20年)大寧寺の変後、大内義隆派の菅田宣真らが籠城。毛利方は強攻を避け城兵をおびき出して撃破し、落城させた。城はのち廃された。(Wikipedia「槌山城」、安芸 槌山城 - 城郭放浪記)
資料によって説が分かれる点
攻め手:Wikipedia『槌山城』は毛利元就(陶晴賢の命で頭崎城の後に攻めた)、城郭放浪記は毛利隆元と記す。元就のWikipediaには槌山城への言及がない。
弘中隆兼の入城:1543年(Wikipedia・市の杣城ページ)/1523年(城郭放浪記)。
落城時の宣真:城郭放浪記は宣真らが城兵の助命を願い切腹とするが、既存データは降伏としている。Wikipediaは宣真の最期に触れない。
立場:Wikipediaは籠城勢を『義隆派』とするが、城郭放浪記は『陶晴賢に従わない』菅田氏を討つため毛利が攻めたと記す(方向性は同じだが表現が異なる)。

槌山城の物語

Q. 槌山城はなぜ『最後の拠点』と言えるのか?

鏡山城、杣城に続いて大内氏が安芸支配の拠点を移した城で、1551年の落城後に廃されたため。(市史跡 曽場が城跡 - 東広島市、Wikipedia「槌山城」、Wikipedia「鏡山城の戦い」)

Q. 1551年に何が起きたか?

義隆の死後に槌山城に籠った菅田宣真らを毛利方が攻め、城兵をおびき出して撃破して落とした。(Wikipedia「槌山城」、安芸 槌山城 - 城郭放浪記)

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よくある質問

  • Q1.槌山城はどこにありますか?

    東広島市八本松町吉川にあります。市史跡です。

  • Q2.槌山城はなぜ『最後の拠点』と言えるのか?

    鏡山城、杣城に続いて大内氏が安芸支配の拠点を移した城で、1551年の落城後に廃されたため。

  • Q3.1551年に何が起きたか?

    義隆の死後に槌山城に籠った菅田宣真らを毛利方が攻め、城兵をおびき出して撃破して落とした。

出典

年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。