STORY — HIGASHIHIROSHIMA / MISONOU
御薗宇城 — 平賀氏発祥の地、鎌倉末期の居城跡
御薗宇城は、出羽国から西下した平賀氏が高屋保に築いた、平賀氏ゆかりの城です。1403〜1404年には山名満氏に包囲され、約3年耐えました。県史跡「平賀氏の遺跡」の一つです。
御薗宇城は、どんな城?
| 所在地 | 広島県東広島市高屋町高屋堀 |
|---|---|
| 城主 | 平賀氏 |
| 築城 | 弘安年間(1278〜88)ごろ(東広島市・城郭放浪記)/文永11年(1274)ごろ(Wikipedia『平賀氏』 |
| 指定 | 広島県史跡「平賀氏の遺跡」の一つ |
| 遺構 | 館城。低い丘陵を堀切で区切り、3段の平らな郭と、三方を馬蹄形に囲む土塁状の郭がある。規模は東西約120m×南北約170m(Wikipedia)。北西約500mに平賀氏墓地(約40基の宝篋印塔・五輪塔など)。 |
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御薗宇城の歴史を、年表で
- 鎌倉時代出羽国平鹿郡から西下した平賀氏が高屋保の地頭となり築城。約200年間、1503年以前の本拠だった。(県史跡 平賀氏の遺跡 - 東広島市、Wikipedia「御薗宇城」)
- 1403〜1404年山名満氏が平賀弘章の籠る城を包囲。平賀氏は国人衆の支援で約3年耐え、一族に戦死者を出した。(Wikipedia「御薗宇城」、県史跡 平賀氏の遺跡 - 東広島市)
- 1503年(文亀3年)弘保が白山城を築き居城を移すが、御薗宇城も維持されていたようだ。(Wikipedia「御薗宇城」)
資料によって説が分かれる点
築城時期:弘安年間(1278〜88)/文永11年(1274)ごろ。
包囲戦の年:応永10年(1403)(Wikipedia・城郭放浪記)/応永11年(1404)(東広島市)。
遺構面積:城郭放浪記は標高276m・比高約30mの台地と記述。Wikipediaは東西約120m×南北約170m。
築城時期:弘安年間(1278〜88)/文永11年(1274)ごろ。
包囲戦の年:応永10年(1403)(Wikipedia・城郭放浪記)/応永11年(1404)(東広島市)。
遺構面積:城郭放浪記は標高276m・比高約30mの台地と記述。Wikipediaは東西約120m×南北約170m。
御薗宇城の物語
Q. 平賀氏はなぜここに城を構えたのか?
出羽国の一族が高屋保の地頭職を得て本拠を移し、館を兼ねた城を築いたと伝わる。元寇に備えて西国へ下向したとする説もある。(県史跡 平賀氏の遺跡 - 東広島市、Wikipedia「御薗宇城」、Wikipedia「平賀氏」)
Q. 山名満氏の包囲戦とは?
安芸守護の山名満氏に反発した国人たちの一揆の中心が平賀弘章。弘章の御薗宇城は3年にわたる包囲に耐えた。(県史跡 平賀氏の遺跡 - 東広島市、Wikipedia「御薗宇城」)
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よくある質問
Q1.御薗宇城はどこにありますか?
東広島市高屋町高屋堀にあります。広島県史跡「平賀氏の遺跡」の一つです。
Q2.平賀氏はなぜここに城を構えたのか?
出羽国の一族が高屋保の地頭職を得て本拠を移し、館を兼ねた城を築いたと伝わる。元寇に備えて西国へ下向したとする説もある。
Q3.山名満氏の包囲戦とは?
安芸守護の山名満氏に反発した国人たちの一揆の中心が平賀弘章。弘章の御薗宇城は3年にわたる包囲に耐えた。
出典
年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。
