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STORY — HIGASHIHIROSHIMA / KAGAMIYAMA

鏡山城 — 一夜の裏切り、元就の真骨頂

鏡山城は、大内氏が安芸支配の拠点とした城で、1998年に国史跡に指定されました。1523年、城将・蔵田房信が叔父の内応で二の丸を開かれ、自害した戦いの舞台です。

鏡山城は、どんな城?

所在地広島県東広島市鏡山二丁目(鏡山公園
城主大内氏(重臣が東西条代官・城番として交代で在城)。1523年の戦いの城将は蔵田房信
築城南北朝時代頃(東広島市)/長禄〜寛正年間(1457〜66)頃(Wikipedia・城郭放浪記)。文献初見は寛正年間と推測される細川勝元感状写
廃城1525年に大内氏が奪回後、杣城・槌山城へ拠点を移し役割を終えたと考えられる
指定国史跡(1998年=平成10年1月14日指定
遺構郭、切岸、竪堀、土塁、石垣、井戸が残る。主郭は山頂の1郭〜5郭。西尾根は二条の堀切と竪堀、北山腹に畝状竪堀群。麓の鏡山公園は桜の名所。2018年の豪雨災害で立入禁止区間がある。
アクセスJR西条駅から広島大学方面行きバスで約10分、「鏡山公園入口」下車。山陽道西条ICから車約20分。駐車場あり。山頂まで遊歩道が整備されている。

ピンの位置は、おおよその位置です。現地へ行かれる際は「地図アプリで開く」もご利用ください。地図は © OpenStreetMap contributors。

鏡山城の歴史を、年表で

  1. 南北朝時代頃発掘調査から、築城はこの時期と考えられている。(史跡 鏡山城跡 - 東広島市(国指定文化財))
  2. 寛正年間(1460〜65ごろ)細川勝元感状写が文献上の初見。細川氏(東)と大内氏(西)が安芸・備後で争う中、大内氏が政治拠点と位置づけた。(史跡 鏡山城跡 - 東広島市(国指定文化財)、Wikipedia「鏡山城」)
  3. 1478年(文明10年)最古の城掟「安芸国西条鏡城法式条々」が定められる。(史跡 鏡山城跡 - 東広島市(国指定文化財))
  4. 1523年(大永3年)6月13〜28日尼子経久の南下に呼応した軍が鏡山城を攻撃。城将の蔵田房信は堅く守ったが、叔父・直信が内応して二の丸が開かれ、房信は一昼夜の抗戦ののち、妻子と城兵の助命を条件に自害した。(Wikipedia「鏡山城の戦い」、Wikipedia「毛利元就」)
  5. 1525年(大永5年)大内氏が鏡山城を奪回。以後は杣城、槌山城へ拠点が移る。(Wikipedia「鏡山城の戦い」、Wikipedia「鏡山城」、史跡 鏡山城跡 - 東広島市(国指定文化財))
資料によって説が分かれる点
築城時期:南北朝時代頃(東広島市・発掘調査)/長禄〜寛正年間(1457〜66)頃(Wikipedia『鏡山城の戦い』・城郭放浪記)。文献初見は寛正年間で一致。
1523年の攻め手:Wikipedia『鏡山城』は尼子経久率いる安芸国人衆とし、『毛利元就』『鏡山城の戦い』は毛利元就や平賀弘保らも参加と記す。

鏡山城の物語

Q. 鏡山城はなぜ重要だったのか?

大内氏が安芸・備後の支配拠点とし、東の細川氏に備える最前線に置いた城だから。重臣が代官として入り、城衆や城料所も定められていた。(史跡 鏡山城跡 - 東広島市(国指定文化財)、東広島市の歴史文化の特性と関連文化財群(第4章))

Q. 1523年の鏡山城の戦いで何が起きたか?

尼子方の攻撃で城将・蔵田房信が守ったが戦いは膠着。叔父の蔵田直信が内応して二の丸が開き落城、房信は助命を条件に自害した。Wikipediaは毛利元就の計略による内応と記す。(Wikipedia「鏡山城の戦い」、Wikipedia「毛利元就」)

Q. 直信はその後どうなったか?

Wikipedia(鏡山城の戦い)によると、尼子経久は寝返りを非難し処刑を命じたとされる。約束された蔵田家の家督は与えられなかった。(Wikipedia「鏡山城の戦い」)

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よくある質問

  • Q1.鏡山城はどこにありますか?

    東広島市鏡山二丁目にあります。国史跡です。

  • Q2.鏡山城はなぜ重要だったのか?

    大内氏が安芸・備後の支配拠点とし、東の細川氏に備える最前線に置いた城だから。重臣が代官として入り、城衆や城料所も定められていた。

  • Q3.1523年の鏡山城の戦いで何が起きたか?

    尼子方の攻撃で城将・蔵田房信が守ったが戦いは膠着。叔父の蔵田直信が内応して二の丸が開き落城、房信は助命を条件に自害した。Wikipediaは毛利元就の計略による内応と記す。

出典

年号・人名は上記の出典に基づきます。史実と伝承は分けて書き、伝承は「伝わる」「とされる」と表記しています。資料によって説が分かれる点は、その旨を併記しています。